議論は尽くした方が良い、と言われることも多い。
実際、会議などにおいて様々な意見からアイデアが磨かれていくことがあるのは確かである。
だが、実際の現場において正しく「議論を尽くす」ことができていないことが多い。
議論を尽くせていない事例
例えば、私がコンサルタントとして携わった新商品の発売についての議論を考えてみよう。
市場調査を実施し、多くのデータから一定の販売量が見込めるとの調査結果に基づき新発売を上申している担当者が議論の中心となる。
データ上は販売を承認することに問題はない、しかしあくまでデータ上であり、不確定要素があることは否めないため、経営層から「議論を尽くす」ことが求められた。
このようなときに「〇〇層にはネガティブな反応がでていると読み取れる、もっとその層を詳しく分析してからでないと発売の判断はできない」と担当者が気づかないリスクが議論を尽くした結果として発見されたように思える。
しかしながら、本当にその層に対するネガティブ反応は新発売にとって重要なことなのか?もっと具体的に言えば売上や製品品質に大きな影響を与えるのか?を考えなくてはいけない。
「発売を決定する重要要因」「発売の成否を決めるポイント」「ターゲットにより効果的に訴求する方法」などについて議論するべきであり、あった方がよいレベルのことを議論するとは求められていない。ロジカル・シンキング、MECEなどはリーダーとして身に着けたいスキルではあるが、それは重箱の隅をつつくためのスキルではない。
議論を尽くすための3つの注意点
「議論を尽くす」ことは「深い議論をする」「議論を前に進める」ことであって、「浅く広く議論をする」「議論を止める」ことではないことを肝に銘じなければならない。
また「議論を止める」一言を言葉巧みに操るミドルが増えているように感じる。失敗を恐れ、低空飛行を繰り返して昇進をすると、自分は「議論を止めた」という免罪符を本人も気づかないうちに得ているのである。その後の推移が不調であれば「私は止めた」と言い、順調であれば「議論を尽くした」と主張するのである。
では、「深い議論をする」「議論を前に進める」意味で「議論を尽くす」ことができるような人材を育成するにはどうすれば良いのであろうか。
一つ目は議論のタイムリミットを設けることである。
「今回は議論が尽くせていないので、また次回議論しましょう」
もっともらしく聞こえるが、時間制限がないため重要でないことについても議論をしようとするのである。時間は巨大企業でも中小企業でも天才でも凡人でも等しく一日24時間であり、分け隔てなく平等な経営資源である。この時間をいかに有意義に使うか、つまり浅く広く議論することに使わず、重要なことを深く議論することに使うか、が重要な成功要因になることをもっと意識すべきである。
二つ目はフィードバックのスピードを速めることである。
議論をいくら重ねようが、事前に分析を慎重に行おうが、残念ながらビジネスの世界では想定通りに進むことは稀である。そう考えると、想定の質を高めることに労力を使うのではなく、想定通りにいかないことに前提にフィードバックで修正を繰り返すことを重視する方が現実的である。
三つ目は評価基準を変えることである。
組織の中で生きている以上、高い評価をされたいと思うのは人の性である。つまり、評価基準は組織の文化、人材を決定づける要因である。
「当社はチャレンジ人材を求めています!」
声高に叫ぶ企業に限って、減点主義の評価制度になっていることが多い。チャレンジして失敗した人材より、失敗しない低空飛行人材が評価される組織では、「議論を止める」ことに価値が生まれてしまう。そして「議論を止める」ことに長けた人間は、決断できない人材になってしまう。その結果、議論を長引かせた挙句、「多数決」によって決めることを行うのである。多数決によって物事を決めるのであれば、リーダーの存在理由はない。また、多数決が正しいのであれば、市場調査にお金をかけられる大企業に中小企業が勝てる見込みはないはずだが、実際はそのようなことはない。
議論も捨てることが重要
戦略とは捨てることと言われるように議論も捨てるところを捨てて、深めることを重視できるリーダーこそ、議論を尽くし、組織に価値を生み出せるのである。
議論好きの人に限って、何か言うことで価値を生み出せるという勘違いをしている。そんな人にはスヌーピーの下記の言葉を贈りたい。
ほんとは何もいうことがないんだったらワンワンほえたってナンセンスだ